Good Morning Yukon Vol.2 : Signs of Autumn
前回の旅から2年後の2005年8月、写真家・宮澤聡は再びカナダのバンクーバーに降り立った。19日間をかけて壮大なYukon Riverを下るために。
Five Finger Rapidsを通過してからというもの、川の中にいくつもの島々が混在し、あみだくじのようにいくつものルートが張り巡らされているようなところがでてきた。
大小様々な島々、上陸できそうな島、そうでない島......と多様な島々で構成されていて、もしSeijiとぼくが別々のコースを選択すれば、しばらくは会うことができないのではないかと思うほどに全体の川幅が広く、対岸を見ることすらできないぐらいだった。
そして、その数あるルートの中でぼくたちは、なるべく川幅の広いルートつまり本流を下ることを選択した。川幅が小さいーーつまり支流だと浅瀬が潜んでいる可能性があったからだ。
ただ、こんなに広いところに、ポツンと小さなカヤックで漂っているとちょっと怖い。後半戦は断然に水量が増え、川底を確認することもできないぐらい水の透明度は低く、深い深い海のように実際に川底を想像できないぐらいの恐怖を覚えた。川の中からボワン、ボワンと大きな波紋のようなものも出てくる。
まるで川底に途轍もない巨大な生物が住んでいて、たまに水面にでてきて人間を食べるみたいな、そんな川の風景が広がっていた。
それは、川というよりは流れる湖といった感じだろうか。
そのぐらい水量が多く感じた。
もしそんなことが実際に起きたらたぶん太刀打ちはできないだろうし、巨大な生物に食べられてしまってぼくの人生はThe end、と言うことになるな〜、と考える自分は小心者だと思うと同時に、大自然の中では人間はちっちゃな生き物なんだなと自覚した。
今のぼくはモンスター映画やパニック映画で恐怖に怯える人々の、あの大勢の中の1人でしかない。
しかし、今回の旅の終着点にたどり着いたとき、ぼくはその大勢の人々から抜け出し、一つ成長した自分になれるのではないかと確信していた。
なぜならば、この旅はぼくにとって冒険そのものなのである。
本格的なアウトドアは前回の2003年のTeslin River〜Yukon River下りで一応経験したとはいえ、僕自身は途中下車で終わっており、ゴールに向けての全行程を下るのは、もちろん初めてであり、今回のBig Salmon River〜Yukon Riverの旅は、今まで書いてきたように、色々な難関をくぐり抜けてきて今ここに至っている。
だから、この旅はぼくにとって冒険、いや、大冒険なのである。
巨大な生物に食べられるのではなく、反対にその生物を食べてやるなんてことはできなくても、食べられそうになってもなんとか命ぎりぎり生き残れる人間にはなれるかもしれない。
その生物をやっつけるヒーローにはまだなれないが、もしなることができるとするならば、まだまだ修行が足りない。そうなるには、さらなる経験とさらなる技術の向上と冷静沈着な精神を養うことが必要だろうし、そもそも自分には、そこまでになる素養があるとは思えない。
人間がどのように生きていくかで、その人の才能や技術や考え方などが、どのように向上していくかはわからないが、今の自分はヒーロータイプではない。ただ、今わかっていることは、必ずこの旅で何かが変わるだろうと思えることだった。
そして、ぼくたちは本流を選択して下っていたのですが、水量が多く、少しばかりの恐怖心があったのと水流の変化のなさに、少し飽きてきたぼくたちは、他のコースにも行くことにした。
その選択が功を奏し、コースによって起伏も様々で流れも穏やかなところがあったりとなかなか面白い。
景色の見え方まで様々で、川幅の広いところは、視界が開けて雄大だったり、小さいところは、島と島の間で視界はあまり広くないものの、すべてのものが至近距離で見ることができる。鴨などの鳥たちがいたり、ビーバーなんかも見ることができ、一つの川の中でいろいろな顔をうかがうことができる。
そんな支流に入っては、また本流に合流して、また群島があれば、本流そのままで下るか、また支流に入るかを選択して下っていった。
そろそろYukon Riverを北上して、約3分の2の行程を終わろうとしていた。今回の旅の出発の時は、まだ真夏で昼は裸でも暑いぐらいだったのに、今はTシャツでも少し肌寒くなっていた。夜が訪れる時間が早くなった気がする。
今はまだ8月の後半だと言うのに秋の気配を感じていた。空を見るとまだ夏なのに空気には冷たさがあった。僕たちは、短い夏から急激に秋に突入しようとしているYukonのゴールに向けて北上しつづけた。
そしてこの先、急激に季節の変化をしつづけるYukonに必死についていくのであった。