TOP / DIRECTION'S EYE / Interview #08 Anna Kanehara
Photograph by Masayuki Furukawa (d-cord)
今回のポートレイト連載企画の被写体、金原杏奈へのインタビューを掲載。現在はニューヨークに拠点を移し、日本と海外のマーケットを行き来して活動する彼女に、現在の心境を聞いた。
河原 今はおいくつですか?
金原 25歳です。モデルは14歳からはじめました。日本の現場で海外のモデルに年を聞いて、15歳と言われたりするとびっくりしますけど、思えば自分もそうだったんですよね。
河原 では当時から背も高かったんですね。きっかけはやはりスカウトですか?
金原 当時は173cmぐらいで、今は177cmです。実家が渋谷区なんですが、近所のお祭りに友達と行った時に、子連れのご家族の方に声をかけられたんです。その方のお知り合いが、モデル事務所を立ち上げるということで。
河原 地元というのは珍しいパターンですね。
金原 奥さんが元モデルさんで、旦那さんはデザイナーさんのご夫婦でした。たまたまご家族で遊びに来ていたようで、疑いもせずにお話を聞きました。家で親に相談したら「まずやってみて嫌だったら辞めればいいし、合うようだったら続ければいいんじゃない」と言われスタートしたんです。13歳で、小学校を卒業したばかりの頃でした。
河原 当時はどんなお仕事をされていたんですか?
金原 初仕事は『Hot-Dog PRESS』でした。その後は『PS』などのストリート誌と同時に『流行通信』とかハイファッション系もやらせていただいていました。メイクされることも初めてでしたし、毎回いろいろな魅力的な人たちに出会えるのは楽しかったですが、やはり"非日常"ではありました。
河原 10代前半と言えば将来のことを考える前でしょう。どんな心境でしたか?
金原 当時は朝登校して出席だけ取ってもらって、朝のホームルームで抜けて現場に行ったりしてました。14歳だったので、まだ仕事という感覚もなかったです。モデル業でお金をもらっているという考えもなかったですし、かといって働かされているわけでもない。なので、心のどこかでモデルであることが当たり前だと思っていましたね。モデル業が仕事だと考えたのは本当に最近で、25歳になる前後くらいからかもしれません。
河原 きっと10代の頃はお小遣い制でしょうし。
金原 20歳まではそうでしたが、20歳になってからは全部渡されるようになりました。
河原 金額が多くてびっくりしたでしょう。
金原 実家暮らしで世間知らずだったんでしょうね。いきなり真っ赤なチェロキーを買いました(笑)。
河原 ダイナミック(笑)。ところで、仕事をする上で悩むことはありましたか? それとも、起伏なく流れのまま進んできたという感じでした?
金原 振り返ってみると、充実した内容のお仕事をたくさんいただけていたので、キャリアを続けて行く上での悩みは10代の時はありませんでした。でも、お仕事1つ1つに対してはすごく責任を感じてましたね。刀を使って立ちまわるEDWINのCMの時には、殺陣の特訓を1ヶ月やったこともありました。学校が終わってから練習に行ったり、夜に近くの公園で練習したり。これは一例ですが、仕事に関しての努力は人一倍やってきたと思います。
河原 パリコレに初めて行ったのはいつですか?
金原 高校を卒業してすぐ、初めてパリに行ったんですが、1人暮らしも海外旅行もしたことがなかったので、大変なトラブルに会いました。行きの飛行機はウキウキしていたんですが、甘く見ていました。
河原 どんなトラブルですか?
金原 韓国で仕事をして、その後パリへ直接向かったんですが、携帯電話を充電したつもりが、変圧器をつけていなくてショートしてしまっていたんです。大家さんに連絡が取れず、仕事をどころではなかったですね。なんとか鍵はもらえましたが、その後も湯沸し器が壊れていたりと、生活面のトラブルが続いてしまいトラウマになってしまいました。
河原 最低限の生活はきちんとしたいのに、仕事やるためのテンションが上がらない状況ですね......。
金原 本当は、仕事が欲しいというモチベーションでいなくてはならないのに。その上ご飯もほとんど食べられず、すごく痩せました。弱い子だったんです(笑)。
河原 現在は杏奈ちゃんはニューヨークを拠点にされているわけですが、そこに至るきっかけを教えてください。
金原 20歳の時に知り合ったパートナーのおかげです。彼は、今はヘアアーティストなんですが、当時は美容師を辞めたばかりで、海外で仕事をしたいとよく話していたんです。そのうち徐々に一緒にニューヨークに行く計画が具体的になり、私は不安と葛藤でなかなか決心できなかったんです。最終的には彼に背中を押してもらったカタチになり、まずは観光ビザで入国し、事務所をいくつも回って、今のエージェンシーに決まりました。
河原 実際に生活してみていかがでしたか?
金原 しばらくはパリで感じたような恐怖心がありました。でもある時「電車に乗る時は日本と一緒でお金を払うんだ」とか「電車で席を譲る優しい男の人が多いな」とか、当たり前のことが見える瞬間があったんです。ニューヨークは東京と別世界じゃないし、生活している人は同じ人間だって。そう気づいてからは、いろんな意味で強くなれたと思います。この2年半のニューヨーク生活は、人間としてすごく成長できましたし、自分にとって大事な時期だったと思います。
河原 ニューヨークでのモデルの仕事は、日本と比べてどうですか?
金原 世界中から働きに来ているので、いろんなタイプのモデルが本当にたくさんいます。そんなまったく日本語のない世界で仕事をするのは、最初は不思議な感覚でした。市場の大きさも段違いですね。ファッションウィークでは見に来ている人たちのファッションを見ていても勉強になるし、インスピレーションをビシビシ浴びています。モデルを撮るパパラッチの数もすごいですし、とにかく華を感じますね。
河原 最後に、これからの目標を教えてください。
金原 アメリカで演技を習ってみたいなと思っています。4年前に「ブラッディ・マンディ」にテロリスト役で出演させてもらったことがあるんですが、その時に、モデルと違う楽しさを感じたんです。モデルとしての表現力をもっと磨きたいので、そういう意味でもぜひチャレンジしてみたいですね。
河原 仕事の幅が広がるのは楽しいことですよね。
金原 モデルとしては、映画とか写真とかアウトプットに関係なく、人に感動を与えられるものの一部になっていたい。人にインスピレーションを与えられる存在になりたい、ということが基本にあるんですが、最近は直接的に人の役に立ちたいという気持ちも出てきましたね。
河原 たとえば?
金原 ヘアアーティストの彼は髪を切れる技術があるけれども、モデルである私はそういう技術がない。だからずっと憧れを持っていたんです。あるとき鍼を打ってもらって、東洋医学興味を持ちはじめ、いつか勉強できたらいいなと思うようになりました。ニューヨークでは、ひそかに東洋医学や鍼灸のファンが多いようですし。
河原 最近、ショートヘアになりましたね。すごく似合っています。
金原 何かを変えたいと思っていて、髪を切りたいと事務所に相談したらOKが出まして(笑)。腰まで髪があったので、さすがに何日か躊躇しましたが。
河原 ニューヨークで活動されて得た人間としての厚みもあると思いますが、ショートヘアにしたことでさらに突き抜けた女性としての魅力を感じました。
金原 自分自身でもしっくりきて、それと同時にいろんなことに対して執着もなくなりました。自分のファッションについてもこれまでより意識的になった。ショートヘアになって新しい自分になった感覚ですし、新たな個性も出せたと思います。アメリカに行って1番学んだのが、個性を出すことと、自分の意見を主張すること。逆に日本人の持つ謙虚さの素晴らしさを感じましたし、そのいい面をどちらも、今後の仕事に活かしていければいいなと思います。
金原杏奈 Anna Kanehara
東京都出身のファッションモデル。国内外の雑誌や広告、CM、コレクションで活動するほか、2010年にはTBS系ドラマ「ブラッディ・マンディ」にも出演。現在はニューヨークに拠点を置いて活動中。
donna(公式サイト)
http://www.donnamodels.jp/details.aspx?nav=2&modelid=576111&msubid=13277&subid=13277&sexid=2&a=2
Anna Kanehara (AnnaKanehara) on Twitter
https://twitter.com/AnnaKanehara