Nikkei Brasileiros! Vol.32 最終回
Vol.32 最終回 サントス
日伯交流100周年企画
後援=在日ブラジル大使館
協 力=AMERICAN AIRLINE
Photoraphs & Text by Mizuaki Wakahara(D-CORD)
Directed by Ryusuke Shimodate
Edit by Tomoko Komori
Camera Assistant by Yayoi Yamashita
Coordinated by Tamiko Hosokawa (BUMBA) / Erico Marmiroli
2008年、地球の裏側ブラジルへの移民がはじまって100年の月日が流れた。今では150万人を超える日系人が暮らしている。南半球最大都市サンパウロへ「japon」に会いに旅にでた、日系ブラジル人ポートレイト集。
2011年3月10日
サンパウロから南東へ約60キロ。16世紀から港湾都市として栄えたブラジルの玄関であるサントスの街へ。日系移民を巡る旅の最終地点として、ボクはこの街を選んだ。コーヒー取引市場があり、ブラジル産のコーヒーはサントス港を経由して世界へと旅立つ。また、あのペレやカズが所属した名門チーム、サントスFCの本拠地でもある。そして日系移民が最初にブラジルの土を踏んだのもここサントスだ。日本からの移民船だけでなく、ドイツやイタリアなどのヨーロッパ諸国からの移民の多くもサントス港を利用した。
「今度会うときは、必ずサントスに行こう」と約束していたボクとジェームズ。その約束は1年後に果たされた。エリコを誘い、3人でサントスにあるジェームズの別荘へ車を走らせた。昼過ぎには到着し、ランチがてらビーチまで散歩する。平日のためか閑散としている浜を抜けると、なんとも美しい海が広がっていた。ビールをひっかけ、ジェームズの部屋へ戻り、夕方までたっぷりと昼寝した。
この街まで来て、サントスFCを見ないわけには行かない。ホームスタジアム「ヴィラ・ベルミーロ」まで送ってもらい、ネイマールの姿を拝みに行った。サッカーが好きではない2人は近くのバルへ。試合のあとでまた合流する。ネイマールの噂は遠く日本へも届いていた。彼がどれだけスゴかったかって? そりゃ桁違いだった。サッカーにおいて「上手過ぎる」ことは反則ではないが、あいつはヤバい。あんな上手いやつありえない。レッドカード! 小学生の時に見た翼くんと、以前バルセロナで当時16歳だったメッシを見たときと同じくらいの衝撃だった。この日もボクの目の前で2ゴールを決めて見せた。そう、ニワトリの鶏冠のようなヘアースタイルで。
至福の時間のあと、ほどなくして迎えの車が到着。乗り込み、向かった先は夜の旧市街。石畳の街並みは静寂に包まれ、ボクら以外には誰もいない。最も下ったところに港がある。そう、移民たちを迎え入れたあの港だ。このあたりの風景は、100年前とさほど変わってはいないだろう。まるでクラシック映画のセットのような空間。移民たちはこの風景を見て、何を想ったのだろうか? 希望か、絶望か、夢か、現実か? 港へ繋がる通りの門は硬く閉ざされており、残念ながら海を臨むことはできなかったが、笠戸丸の乗員たちと同じ石畳のうえを歩いた感触は、ボクにあらためて彼らの浪漫を想い起こさせた。
そう、100年前に日本人がたどり着いた場所に、今ボクはいる。
翌日は、エリコのマムとネフューがボクに会いに隣街から来てくれた。みんなでサントスの街を一望できる高台に登った。その丘のうえに建つ建物は、カジノや高級レストランを備えた、富裕層や知識人たちの社交場だった。今でも、そのエレガントな面影は残っている。そこのバルコニーからサントス港に出入りする貨物船を眺めた。船を眺めていると、時間も穏やかに流れる。
気持ちよい天気と景色に、おなかが空いた。サントスの老舗レストラン、パウリスタへ行く。なんともクラシカルな内装だ。エリコのマムやネフューが、サントスの街との色々な思い出を語ってくれた。ボクがわかるようにゆっくりとポルトガル語で話してくれたが、それでもわからなそうなところをエリコが超早口なイングリッシュで補足してくれた。マムの話しは続く。エリコのお喋り好きはママ譲りらしい。料理も絶品だった。もう名前を明記してしまったが、こういう場所はヒトには教えたくないところだ。そう、秘密にしておきたい。1911年から営業しているパウリスタ。初期日系移民と同級生だ。きっと移民たちも何人かは訪れ、ブラジル人シェフの腕前に舌を巻いたに違いない。訪れた思い出にパウリスタトリコロールが印象的なお皿を1枚いただいた。ボクにとっては初期日系移民の形見のようなものだ。そのままコーヒー市場へ向い、挽きたてのブラジリアンコーヒーをいただいた。そのカフェを出る時、マムはチョコレートを、ネフューはそのカフェのバッヂをお土産だと言って渡してくれた。Muite obrigado!
こうして、短いわりに結構のらりくらりとしたサントスへの旅は終わった。つまり、この原稿もいつもならこの辺で適当に終わりだ。『Direction』編集長に原稿を送り、とっととベッドに滑り込みたい。
ところが今日はそうもいかない。なぜなら3年以上続けてきたNikkei Brasileiros! も今回が最終回だからだ。最後ぐらい、カッコ良く終わりたいし。意外といいこと書けたなって自己満もしたい。ブラジル遠征の準備から足かけ6年を費やした自分の情熱に、少しセンチメンタルになりながら、このプロジェクトを一旦締めようじゃないか。
ブラジリアンフッチボールを愛し、マラカナンの発煙筒の煙をくぐり抜け、ブラジリアン柔術を愛し、ファベーラで九死に一生を得て、カーニバルに出場しスタジアムをパレードした。イグアスの滝に打たれ、イパネマのゲイビーチで海に飛び込み、ブラジル娘のでっかいケツに恋い焦がれ、美女と恋に落ちた。気づけば、ボクにもブラジリアンの血が流れているではないか。いやいや、そんなこと、本当はどうでもいいんだ。月日が流れ、自然にそうなったことだ。もっともっとでっかいことなんだ。
でっかいハートのことなんだ。
100年以上前に、国境を越えていった移民たちのパイオニア精神に圧倒されたんだ。サントスから各地へ送り出され、やっと彼らがたどり着いた先に広がっていたのは、コーヒー農園と呼べるもんじゃなかった。ただの荒野だったんだ。そこで奴隷のように扱われ、仲間は病気で次々と死んでいった。それでも屈しない、でっかいハートをもった者たち。移民会社に抗議した者たち。夜逃げして我が身ひとつで生き延びた者たち。日本人の精神を守ろうとした者たち。帰国の夢を捨て、ブラジルに骨を埋める決意をした者たち。アマゾンに魅せられた者たち。彼らの壮大なドラマ、人生の片鱗を記録し語り継ぐ使命がボクにはあるんだ。なぜなら彼らの生き方に、浪漫を感じずにはいられなかったからさ。これでいいんだ。きっと。Nikkei Brasileiros!を続けた意味がボクにはある。
Abracos.
すべての日系移民へ、これから国境を越えるすべての日本人へ、この物語を捧げたい。