Nikkei Brasileiros! vol.30
Vol.30 ジェームズ・クドウ(芸術家)
日伯交流100周年企画
後援=在日ブラジル大使館
協 力=AMERICAN AIRLINE
Photoraphs & Text by Mizuaki Wakahara(D-CORD)
Directed by Ryusuke Shimodate
Edit by Tomoko Komori
Camera Assistant by Yayoi Yamashita
Coordinated by Tamiko Hosokawa (BUMBA) / Erico Marmiroli
2008年、地球の裏側ブラジルへの移民がはじまって100年の月日が流れた。今では150万人を超える日系人が暮らしている。南半球最大都市サンパウロへ「japon」に会いに旅にでた、日系ブラジル人ポートレイト集。
芸術家は一挙一動が面白い。いつだったか、ジェームズや数人のミュージシャンたちとMTVのカフェで話していた時、彼は僕がテーブルの上についていたヒジを局部的に写真に撮っていた。「何撮ってんだジェイ? 何かヒジについてる?」と、いぶかしげに聞くと、「イヤー、ココガオモシロイネ。コノカタチガネ」。と意味不明なことをぼそぼそと言いながら10枚ほどシャッターを切った。撮った写真を見ると、なんてことはないヒジの姿だった。
ジェームズと一緒にいると、そういったことは日常的であり、特別何がどうというわけではないが、僕はそんな彼を眺めていることが嫌いじゃない。おそらく子供が好奇心をくすぐられる何かを見つけたとき、時間が止まったように物事を凝視する、まわりの世界が視界から消え、自分と対象物だけの空間になる。それと同じこと。ほとんどのヒトは大人になるにつれ、それをしなくなる。ジェイは今でもそれをしている。
ジェームズは日本の歌謡曲が大好きだ。いや、ジェイだけでなく熱狂的な日本のポップス・ファンであるブラジル人は異常に多い。ある日ジェームズの家のリビングでふたりしてダラダラしていたとき、「ミズアキ、コレ知ッテル?」とYouTubeで聞かされた曲はチェッカーズのダンス・リミックスだった。「何だこれ?」。面食らっている僕に「ブラジルニ、コウイウノイッパイアル。全部ブラジル人ガリメイクシテルネ」。と説明してくれた。いろんな意味でとてつもないセンスだ。「僕ハオリジナルヲ、ブラジルデ聴イテ育ッタケド、コウイウノ作ッテルブラジル人ノDJハ、YouTubeデ調ベテ選ンデイルンダヨ」。
こんなふうに日本人が想像もしない日本文化がブラジルにはたくさんある。日系人の影響でブラジル人の日常生活の中に、時折わずかに現れるジャパン・カルチャー、特にポップ・カルチャーは、彼らを大いに刺激するらしい。ジェイの当時のパートナーであったイタリア系ブラジル人のエリコのipodにも歌謡曲リミックスが大量に入っていて、言葉を音でひろって歌っていたことがよくあった。真顔で「アイシテルー」と口ずさみながら、これは「『愛してる』ってことでしょ!」と得意げに僕にアピールしてくる。本当に変なカップルだと、最初はあきれていたが、よくよく考えると、ちょっとしたマニアックな趣味としては、特別な理解力を持ち合わせて初めて成立する世界観だと思いなおし、彼らの感受性の鋭さにも気づかされた。彼らは「やっぱりバブルの頃の曲には、他の年代には無い突き抜けたメジャー感とファンタジーがあるから、エンターテイメントとしては完成度が高いんだよね」と語るほど、曲が醸し出す時代性を感じ取っていた。
「こんな解釈はありえない」とか「こんな感覚はありえない」とか、モノの見方にルールなど、本来はないはずなのに、いつの間にか一定の物差しで計ってしまう。そんな束縛から解放してくれる、ジェイやエリコと過ごす時間は、あらためてジャパンカルチャーと客観的に向き合う機会を僕に与えてくれる。
僕はよくジェームズにニューヨークの話しを聞かせてもらう。ルドルフ・ジュリアーニが市長になる以前のニューヨークの話だ。ジェイはサンパウロ美術大学に進学後、ニューヨークのアート・スチューデント・リーグでアートを学んでいる。「当時の経験が自分の創作の原点だ」と本人も語っているが、ニューヨークの街自体がアーティストにとってはキャンバスそのものだったと、彼をして言わしめた、そのスペシャルな環境での思い出を聞いているだけで、僕は楽しくてしかたがなかった。
ジェームズは現在、「Zipper Galeria」と契約している。サンパウロのアート界を取り巻く環境も日々変化しているようで、その流れに遅れないようにキュレーターや専属ギャラリーを変えているそうだ。「Nikkei Brasileiros!」の取材でジェイと仲良くなって以降、サンパウロに滞在するときはもっぱらジェイのマンションに泊めてもらっている。いつも「ミズアキモ来ル?」と誘ってくれるので、彼の仕事には大抵ついていく。キュレーターやギャラリーとの打合せ。展示会場の下見や作品の搬入、雑誌のインタビューまで。サンパウロには個性的なギャラリーが多く、そこで働いている関係者もみな個性的で、魅力のある人物ばかりなので常に好奇心を刺激される。たまに真剣な商談をしている姿を見るのも新鮮だ。「子供が無理して大人の顔をしている」と冷やかしている。
以前ジェイが日本のギャラリーで個展をしていたとき、日本とブラジルではギャラリーそのものの在り方が極端に違うと話していた。もちろん、日本ではほんの数ヵ所でしか個展をしていない彼の意見がすべてではないが、アートそのものに対する考え方として、ブラジル人は「所有するモノ」、日本人は「見るモノ」と根本的な意識の違いがあるようだ。確かにサンパウロのブックストアではアート専門誌が平積みになっている風景をよく目にするが、それだけアートが社会に浸透している証しなのだろうか?
最後に彼のアイデンティティについて書いておきたい。
ジェームズはサッカーが嫌いだ。その時点で彼をブラジリアンだとは言い難い。サントスでネイマールを見ようと誘っても、ジェイは僕をスタジアムまで送ったあと、別の友人と飲みに行ってしまう。もっと言えば、彼はブラジル人が好きではない。「コンナンダカラ、ブラジル人ハ駄目ナンダ!」といつも言う。
「僕ハ『ニッケイ』」それが彼の答えだ。
ブラジルから帰る日はいつも寂しい。僕はいつだってジェイと一緒にいたい。早くブラジルへ戻り、ジェイの家のドアを開け、彼の顔を見ていうんだ。
「ただいま、ジェームズ! 今年もカーニバルに行こう!」って。