• INDEX
  • HOME
  • DIRECTION'S EYE
  • GALLERY
  • PICK UP
  • SHOP
  • END

DIRECTION'S EYE

TOP / DIRECTION'S EYE / Interview #04 Yumiko Hara

Interview #04 Yumiko Hara

Yumiko Hara × 河原里美

Photograph by Masayuki Furukawa

Text by Kazuki Hoshino


ポートレイト連載企画の被写体、原裕美子へのインタビューを掲載。18歳で『CanCam』専属モデル・オーディションのグランプリを獲り、現在はCM、映画の分野でも活躍する彼女の、等身大の姿とは。

th_66O0892.jpg_taidan.jpg



河原 先ほどは撮影ありがとうございました。原さんは今、おいくつですか?

原 27歳です。早生まれで28歳になる歳なんですが、18歳から仕事をしているので今年で10年目になります。

河原 ご実家はどちらですか?

原 神戸の山奥です。小学校の校歌が「緑の山に包まれて~」っていうように、本当に山に囲まれてます。18歳で大学行くために上京したんですが、それまで牛乳瓶の底みたいなメガネをかけて、かなり勉強してました。学校終わったら即予備校みたいな感じでしたね。死ぬほど勉強して、大学で東京に出て、人生変わったらいいなってずっと思ってたんです。その時に『CanCam』の誌面で専属モデルのオーディションに応募したんです。そこでグランプリを獲って、モデルをはじめることになりました。

河原 かなり勉強したんですか?

原 やりましたね。中高6年間、神戸から大阪まで2時間かけて通ってたんですが、移動中も英単語1500とか勉強してました。

河原 登校に2時間は大変でしたね。

原 中学の時に神戸の本命の学校に落ちてしまったんですけど、地元の公立に行かずに、受かった大阪の学校に意地張って通いはじめたら6年間(笑)。心折れるかと思いました。だから東京へ来たらすべてが素晴らしかった。190円払えば、地下鉄でどこへでも行けるし、山手線は3分おきに電車は来るし。刺激と驚きばかりでしたね。

河原さん 上京して、在学中にモデルになったわけですね。

原 常に受験勉強をしていたから、大学まで行ったらやっと遊べるんじゃないかって思ったんです。でもいざ遊ぶとなってもなっても、どうしていいかわからない。大学時代は学部のメンバーと遊んでばっかりして、でもこれが本当に楽しいのかな? みたいな(笑)。どうしたらいいのか方法はわからないけど、それまでの勉強ばかりの人生を変えたかったんですね。オーディションに合格して、最初は親も反対して「大学4年間が終わるまでのアルバイト」だって言われたんです。でもその頃は就職氷河期で、大学4年になって周りの子たちのなかなか就職が決まらない様子を見ていたら、その気がさらさらなくなってしまった。やっぱりモデルの仕事が1番板についているような気がしたので、今の仕事を続けると親に言ったんです。そうしたら案の定すごく怒られましたね。                                

河原 娘がそこまで真剣に考えて、モデルをしたいと思っているとは思わないですもんね。

原 親はたまにファッション誌やCMで見るくらいで、実際の覚悟を説明して納得してもらうのは大変でした。実際に卒業して大学生という枠で守られなくなって、家を借りる時やクレジットカードをつくる時に「職業=モデル」と書くと、意外と審査が厳しくて。不動産屋にコンポジット出したこともあったんですよ(笑)。

河原さん 『CanCam』でのモデル時代はどうでしたか?

原 『CanCam 』のモデルさんは皆お人形さんのようで華奢で細くてスタイルも勿論素晴らしいですし、ヘアカラーもネイルも、眉のお手入れも、とてもパーフェクトで圧感されたことを覚えてます。私も『CanCam』でモデルになった日にはそのようになっていかないと! と、頭ではわかっていましたが、自分の気持ちがそこについていくことができませんでした。周囲から見た目に関する変化をうながされたりして、変化を求められることが怖かったし、まだ子どもだったので、求められるスタイルに歩み寄って行くことができなかった。私が高校生になってちょっとメイクに興味を持って、やっと貯めたお小遣いで買ったマスカラや、リップを、母親は「あなたはそのままが一番綺麗なの!」と怒りながら取り上げていきました。その経験やその言葉がモデルになってからも離れなかったんです。

 『CanCam』のメイクやヘアスタイルをして、紙面に載った号を私は今でも大切にとってます。でも、それを見るたびに自分で笑っちゃいますね。どこのニューハーフ!? って......(笑)。当初『CanCam』のモデルオーディションでモデルになったので、雑誌は『CanCam』だけということだったのですがカタログ、ショー、広告は雑誌を気にせず何をしてもよかったんです。そこで、ナチュラルメイクのモデルたちとたくさん出会って、私は "ナチュラル系でも仕事をしてみたい!"と思いました。そこから『CanCam』の1年の契約を終えて、『装苑』や『SPUR』を始めとするモード誌や『JILLE』『mini』を始めとするストリート誌などで仕事の幅を広げていくことになりました。

河原 それが大学在学中のことですね。卒業してから仕事に変化はありましたか?

原 19歳~22歳ぐらいの時に、海外に挑戦しに行ってた時期もありました。夏休みや冬休みの2ヶ月を利用して、自分で事務所の門を叩きにいくんですが、世界の壁の高さを痛感させられました。 モデル事務所には身長計が置いてあって、175センチないといけないところで、ギリギリ身長が足りなくてダメだったり、「うちはもうアジア人いるから君はいらない」って最初に言われたり。パリコレでアジア人の枠は30人に1人の世界で、その席取りも壮絶でしたね。実際に私が海外でやったのはティーン誌やカタログの仕事でしたが、そこで見たものや感じたものは、私にとっては大きなものでした。辛かったことも全部、今はいい経験になっています。

河原 最近のお仕事はどういうものになっていていますか?

原 ちょっと質問と違うかもしれないんですが、最近気づいたことがあるんです。いい仕事をするためには、まず自分の芯、自分のベースをしっかり持たないとけないということです。自分の芯やベースというのは日々の生活でつくり上げられていくものであるから、忙しいを口癖にするのは辞めて、今はプライベートな時間で自分と向き合うようにしています。自分と向きあえばおのずと、今の生活に必要な要素をきちんと見つけることができるんですね。プライベートで充実した時間を持つことができれば、心身ともに良いコンディションで現場に挑むことができる。そんなことを思うので、今はプライベートの充実に重点を置く生活をしています。「仕事の充実感が私のすべて!」とそれまで信じていたことが、実はそうではないと気づけたことは、とても大きいことでした。

 それまでは、仕事の忙しさにかまけて、家のことから自分のケアまで、すべて疎かにしてしまったり、明日の準備だけしてさっさと寝てしまったり......。食事も栄養バランスなんか考えないで適当に済ませてましたし、家事も手抜きして、洗濯物も山になってました。とにかくさっさと寝たいから、私のプライベートを支えてくれる大切な人たちとも、コミュニケーションのない日々を過ごしてたりもしました。そんな状態でも現場で笑って仕事できるから「大丈夫! 大丈夫!」なんて言ってた矢先23歳の時に、無理が重なって倒れちゃったんですよね......。そこまできて初めて、自分は全然大丈夫なんかじゃなかったんだ、って気づかされました。

河原 それは大変でしたね。

原 23歳の夏に『ヘルドライバー』という映画で主演をやらせてもらって、アクションをやったんです。その時に結構無茶をして、背骨にヒビが入ったことがあったんです。朝5時から夜中の2時までの撮影が続いて、あまりにも大変だったのと怪我を治すためにも、撮影後1ヶ月休養をとったんです。そうしてたら筋肉も脂肪も落ちてしまって、不健康にげっそり痩せてしまいました。洋服も自信を持って似合ってるとは言えないし、ドレスは縛っても縛っても脱げ落ちるし、これはまずいと思いました。洋服を自信持って着こなせないモデルなんて、モデルじゃないですよね......。そこからゆっくり体調を戻すさなか、ヨガに出会ったんです。ジムでヨガとピラティスで、インナーマッスルをつけていきました。ヨガは体だけではなく心のためにも良くて、その時間だけは追い詰められるような緊張感から開放されて、自分の気持ちを整理する時間になるんです。その良さに気づいてそこからヨガにどんどん夢中になっていったんです。

河原 ヨガは、週何回やってるんですか?

原 毎日起きたらやってます。ジムにも行ける限り通ってます。私にとってはヨガは自分を助けてくれるものですね。ヨガに行くことで仲間もできたし、クラスでは穏やかなコミニュケーションも取ることができますし。おじいちゃんやおばあちゃんが多いですが(笑)。これだけはまってるので、今の勢いだとゆくゆくはインストラクターの資格を目指してもいいかも(笑)。

河原 私もジムのヨガに通っているんです。普段は思考のおしゃべりというか、頭がずーっと働いた状態になっているのを、ヨガをやることで心や体の声を聞いていくと、その時間だけ頭がぽかっと空いて、体と向き合えます。

原 みんな毎日一生懸命生きているから、あれしてこれしてって、隙間を埋めていきがちなんですが、 余白のスペースを持たせないと、緊張の糸が切れた時について行けないタイミングが来てしまう。その時に反動で体を壊したり、心が病んでしまったら意味がないと思うんです。だったら毎日30分でもいいので、自分の気持ちや頭を切り替えられる時間を持って、余裕を持って過ごすことが大事だと気づきました。そうしたら些細なことがとっても嬉しかったり、周囲にいてくれる人たちに前にも増して感謝の気持ちを感じるようになりましたね。

河原 若いときは勢いで押しきれても、徐々にそうはいかなくなりますよね。

原 20代前半の時って少し無茶しても体はすぐ回復しますし、ガッツや根拠のない自信があって過ごせるんだと思うんです。でも若さは年々減っていきますよね。きちんと自分の体と向き合って、ケアする時間をもたなければ肌や体もきちんとした状態に保てない。大事なのは生活だったり、3食をきちんと食べることだったり、自分がパンクする前に自分と向き合って解決することだったり。体を動かすこともその1つですし、そういうライフスタイルや考え方を、伝えていくことができればいいなと思ってます。

河原 なるほど、ますます充実されてますね。今後は、女優のお仕事も積極的に取り組んでいかれるんでしょうか。

原  女優のお仕事は好きですよ! ただ私はすべてのことにおいて幅を持って活動をしたいと思ってます。女優のお仕事は忍耐力や演技力、表現力を私に教えてくれました。ここで学んだことをモデルのお仕事に活かすことができたら、さらに魅力的な作品や、パフォーマンスが現場でできるんじゃないかな。なんて思ったりします。私は色んな人に出会うことができるこの仕事が大好きです。モデル、女優の活動を幅広くしながらこれからも色んな人達の価値観を知る"カルチャーショック"をずっと受けていきたいと思っているんです。

河原 いずれ行った先に残ってくるものを......という方が自然な流れなのかもしれませんね。最後に、今回私服で撮影しましたがいかがでしたか?

原 等身大の今の自分の姿が見てもらえるので良い機会でした。ありがとうございます。20台の前半はエッジの効いた派手な服装をしてお出かけしてましたが、最近はこういうシンプルで潔い服が好きですね。私の気持ちもシンプルで潔くなったんですかね~(笑)。





原裕美子 Yumiko Hara
兵庫県出身のファッションモデル。2004年に『CanCam』専属モデルオーディションでグランプリを獲得。以後はファッション雑誌、広告で活動するほか、CM、PV、ドラマや『ヘルドライバー』(2011年)や『ヘルタースケルター』(2012年)をはじめとする映画に出演するなど、女優としても活躍中。



公式ブログ「DEAR YOU」




■過去掲載記事:



I (kana)Wikipedia: い in hiragana or イ in katakana is one of the Japanese kana each of which represents one mora.

TOP OF PAGE