2008 年、地球の裏側ブラジルへの移民がはじまって100年の月日が流れた。今では150万人を超える日系人が暮らしている。南半球最大都市サンパウロへ「japon」に会いに旅にでた、日系ブラジル人ポートレイト集。
2008年9月9日
このヒトが何を考えているのか全くわからない。取材としては悲しいくらい話しを引き出せなかった。結果、内容に乏しいインタビューにありがちな「スゴくいい人だった」という印象だけが残った。
フェルナンダは日系3世。ベロ・オリゾンチを拠点に'90年代からPato Fu (
http://www.patofu.com.br)のボーカルとして彼女の名は知れ渡り、その人気はブラジル国内を軽く飛び越え、いわばWorld Famousな活動を続けてきた。正直その音楽性にそこまで共感するものはないし、むしろいわゆる「おしゃれな音楽」とカテゴライズされるバンドは避けてきたボクが、フェルナンダに会いたいと思った理由は、彼女の日本からの影響を自認する一貫した発言と、日本語で歌う楽曲まで存在したからだ。Youtubeで彼女の曲を一通り予習してから、まずはライブを見に行った。
青山の草月ホール。この日はPato Fuではなくフェルナンダのソロ名義の公演。サポートバンドによる静かなイントロの中、ステージに姿を現した彼女は大和撫子以外のなにものでもなかった。控えめで繊細、大人しい振る舞いにブラジル人気質の欠片も感じられない。まずはそのことが大きな驚きだった。ソロ名義でのコンセプトや日本公演のための演出なのかとも考えながら見ていたが、ステージ中央でshowをコントロールしながらも常に一歩引いているその佇まいは、間違いなく彼女がパーソナリティーとして持ち合わせるものであると思わざるをえない。もっと言えば現代の日本人以上に「古き良き日本人女性」を思わせる立ち振る舞いである。ある意味、「エンターテイメントとしてのステージングとしてここまで控えめでいいの?」と勘ぐりたくなる。この日のいい意味での違和感は、ボクの好奇心を大いに掻き立てた。終盤には、意外にも? Duran Duranの名曲「Ordinary World」を独特なアレンジで歌い上げた。ボクも高校時代に好きだった曲なので、フェルナンダとの距離がやや縮まった気がした。
9月8日、東京日仏学院でのイベントで、ブラジル人バンドのステージにフェルナンダがゲスト出演する情報を聞きつけ、この日も彼女を追いかけた。'80年代のNEW WAVEから影響を受けたバンドはアバンギャルドな現代版オルタナティブロックを信条とし、ニルヴァーナの曲「Lithium」のカバーには心底魅せられた。精力的で若さに溢れ、パワフルなパフォーマンスが続く中で、バンドにとっては大先輩、憧れの存在であるフェルナンダをステージに迎えた。ステージ上の熱気をものともせず、大和撫子は先日の草月ホール同様に控えめで、ハニカミながらマイクの前に立った。2曲のみの共演だったが、終始脇役に徹するフェルナンダ。どっちが先輩だかわからないほど、若者に気を配っている。それが素顔の彼女の本質なのだろう。淡々と美声を響かせて、気づいたらステージ上から消えていた。
ブラジルにおけるビジネスやカルチャーの中心であるサンパウロやリオではなく、第3の都市で「美しい地平線」を意味するベロ・オリゾンチでフェルナンダは暮らしている。日本人であった祖母の影響が大きく、特に性格は似ているそうだ。現在でも日本語の家庭教師をつけていて、子供たちと共に学び続けている。バンドがデビューして間もなくその存在を知ったピチカートファイブへの憧れから、当時「渋谷系」と呼ばれ日本中を席巻したアーティストたちからの音楽的、文化的影響がフェルナンダのスタイルには大きな影響があり、アーティストとしての基盤になっているようだ。
9月9日、まさにその渋谷でPato Fuのライブが行われた。この日はソロでもないし、ゲスト出演でもない。紛れもないWorld Famousロックバンドのフロントウーマンとしてステージに君臨するフェルナンダ!!! は、やっぱり今日もハニカんでいる。時にステージのどこにいるのか見失うくらい薄い存在感。きっとファンは彼女のそんな慎ましさに惹かれるのだろう。それでも写真を見れば、彼女は立派にステージを牽引しているように見えるだろう。それはボクが必死にそう見えるように撮影したからに他ならない。