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Nikkei Brasileiros! vol.23

Vol.23 アヤオ・オカモト(アーティスト)

日伯交流100周年企画
後援=在日ブラジル大使館
協 力=AMERICAN AIRLINE

Photoraphs & Text by Mizuaki Wakahara(D-CORD)
Directed by Ryusuke Shimodate
Edit by Tomoko Komori

Camera Assistant by Yayoi Yamashita
Coordinated by Tamiko Hosokawa (BUMBA) / Erico Marmiroli


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2008 年、地球の裏側ブラジルへの移民がはじまって100年の月日が流れた。今では150万人を超える日系人が暮らしている。 南半球最大都市サンパウロへ「japon」に会いに旅にでた、日系ブラジル人ポートレイト集。

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2008
1014

 


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 アヤオさんのお父さんは日系移民であり、1937年にブラジルへ来た。かたやお母さんは日系1世の両親を持つ2世。つまりアヤオさんは日系2世であり、ある意味3世でもある。ややこしい説明になってしまったが、ブラジルの日系社会において、1世や2世とそれ以降の3世には文化及び言語の面で大きな断絶があり、明らかなジェネレーションギャップが存在する。



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 以前この連載の中でも触れたが、終戦直後から日系コロニアは、母国の神州不滅を信じる「勝ち組」と、敗戦を認識する「負け組」に二分された。この抗争から生まれ、後にブラジルで「東洋のゲシュタポ」と紹介され物議を醸した組織がある。臣道聯盟だ。臣道聯盟は、敗戦認識普及を図る負け組幹部らにテロ行為を働き、23人を暗殺、147人の負傷者を出したとされる。



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 この物語は、日本移民社会においては現在でもタブーであり、半世紀もの間、1世の間で封印されてきた。それゆえポルトガル語化されることも少なく、23世世代でさえ知るものは少なかった。そんな激動の時代のさなか、1953年にアヤオさんはパラナ州で生まれる。1953年といえば、戦争によって凍結されていた日本移民が再開された年でもある。つまり、アヤオさんの世代は、日系移民社会の第2章の幕開けを象徴する世代なのだ。



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 アヤオさんにアートと出会うきっかけを尋ねると、「物心ついたときから絵を描くのが好きで、それがとても自然だった」と答えたが、移民1世のほとんどが農村で生計を立てていたために、遊ぶ暇があったら農家の手伝いをさせられていた2世世代の子供たちとは明らかに環境が異なる。13歳の時に絵画セットを買ってもらって以来、絵に没頭する日々が続く。



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 18歳で名門サンパウロアルマンド・アルバレス・ペンテアード美術大学に進学し、アートを志す仲間たちとしのぎを削る。アーティストとして食べていくことを決めたのもこの頃だ。

 当時の同級生に日系2世や3世がたくさんいて、彼らと過ごす時間は日本語で話していたというエピソードも興味深い。この頃、やはり多くの日系人の若者たちがブラジル社会へ飛び込んでいっていたことが窺い知れる。「ブラジルではアートに関するマテリアルを安く手に入れることができたんですよ。だからお金が無くても、自分の考え方さえあればあとはパッションで何でもできるんです!」と若いアーティストたちを囲む環境が恵まれていたことも明かしてくれた。



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'70年代はブラジルにおいてアート・マーケットが拡大され始めた時期らしく、そういう意味でもアヤオさんのアーティスト人生には追い風が吹いていたようだ。

 


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 このように、過度に閉鎖的だった日系社会が融和し始めた最初の世代であることは、現在の家族構成にも現れている。高校生の息子は、レバノン移民の前妻との間に生まれた。再婚した現在の妻はアラブ系ブラジル人と日系人の間に生まれた日系3世であり、彼女の娘、中学生のアレシャンドラはポルトガル系ブラジル人の前夫との間にフランスのパリで生まれている。これほど多国籍な家族4人がテーブルを囲む光景は、今の日本ではまだ馴染みのないものかもしれないが、やがて日本でも普通になる日が来るに違いない。



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「毎日、日本食を食べて育った」と誇らしげに語り、インタビュー中も消えそうな線香花火のように危ういものではあったが、終始日本語で話してくれたアヤオさん。一方、最早食卓に日本食が並ぶこともなく、コンニチハさえ知らない4世の子供たちには、一体どんなJaponが受け継がれていくのだろうか?Japonアイデンティティを持つ生き方と持たない生き方の境界線が、今、目の前に敷かれているように思えた。



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 サンパウロの古豪クラブであり、今年のクラブワールドカップ出場のために来日を果たすコリンチャンスの大ファンで、自身も高校でサッカー部に在籍している息子さんの腕前を拝見したが、愛らしいほど下手だった。Japonはそんなところに僅かながら引き継がれているのかもしれない。



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■過去連載記事:
vol.1 ジュン・マツイ(タトゥーアーティスト/俳優)
vol.2 チアキ・イシイ(柔道家)
vol.3 シズオ・マツオカ(バイオエタノール研究者)
vol.4 トシヒコ・エガシラ(ざっくりと実業家
vol.12 KIMI NI(陶芸家)
vol.13 トミエ オオタケ(芸術家)
vol.14 ヒデノリ サカオ (ミュージシャン)
vol.15 ヒデコ スズキ(デコギャラリー/ギャラリスト)
vol.16 ナミ・ワカバヤシ(ジュエリー・デザイナー)
vol.17 シンチア・タカハシ(女子ソフトボールブラジル代表選手 & エンジェル)
vol.18 ティティ・フリーク (グラフィティ&ヨーヨー・アーティスト)
vol.19 ジュリアナ・イマイ(モデル)
vol.20 マルシア(歌手・女優)
vol.21 レイチェル・ホシノ(プロダクト・デザイナー)
vol.22 アンドレ・アルマダ(ゲイクラブ・オーナー)






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