Nikkei Brasileiros! vol.15
ヒデコ スズキ(デコギャラリー/ギャラリスト)
日伯交流100周年企画
後援=在日ブラジル大使館
協
力=AMERICAN AIRLINE
Photoraphs &
Text by Mizuaki Wakahara(D-CORD)
Directed by Ryusuke Shimodate
Edit by Tomoko Komori
Camera Assistant by Yayoi Yamashita
Coordinated
by Tamiko Hosokawa (BUMBA) / Erico Marmiroli
2008 年、地球の裏側ブラジルへの移民がはじまって100年の月日が流れた。今では150万人を超える日系人が暮らしている。 南半球最大都市サンパウロへ「japon」に会いに旅にでた、日系ブラジル人ポートレイト集。
2008年10月11日 デコ・ギャラリー
もうすっかり日が暮れたころ、サンパウロのイタリア人街のド真ん中にあるデコ・ギャラリーに着いた。エントランスをくぐるとき、脇に飾られた女性の絵が気になったが、その絵の人物こそ今回取材させていただいたヒデコ・スズキさんである。ハスキーでのんびりしたデコさんの笑い声は、一度聞いたら忘れられないほど特徴的で、以来僕らは日本へ帰国するまでその笑い方を真似し続けた。
撮影後、「ここはイタリア人街だから、あまりにも美味しくてびっくりするわよ! How How Howww!」と笑いながらピザのデリバリーを頼んでくださった。次から次へとワインやらチーズなどが並べられ、至福の時間が始まった。食後にデコさんの旦那さんが作ってくれた自家製カイピリーニャは、今回のブラジル滞在中で間違いなく一番ヤバかった!
日本でデザイン会社に勤めていたデコさんがブラジルに来たのは36年前。「ブラジルに来たのは、兄がブラジルにいたから。1年間滞在するつもりが、リオの空港に降り立った瞬間に......『私の場所はここだ!』ってわかっちゃったの。How How Howw!」。
すげー! 僕もわかっちゃいたい! と思いながらワインをおかわりする。
「それから兄の家に1年間いて、いろいろ様子を見ながらお教室を開いて生活していたわ。日本でフラワーデザインをやっていたから、そのお教室をやったり、イタリアの金箔工芸をブラジルで覚えてそのお教室をやったり。そしてだんだんとひとりで暮らしはじめるようになった。最初小さなアパートを借りたら大家さんが『売りに出すから出てくれ!』って言われて、次に少し大きいアパートに引っ越したら、またそこの大家さんが『売りに出すから出て行ってくれって!』How How Howw!」。
「お教室をやっていたし、たくさんお客さんが家に来るから、次は一軒家を借りることにしたの。1人で住むには大きい家でね、2階に3部屋あるような。そうしたらスペースがありすぎるから、友達で焼き物をする人の作品を飾ったり、アーティストの版画を飾ったりするうちに、こういうの楽しいなって思えてきて。それがギャラリーのはじまりね。How How Howw!」。
「ある時、友達に個展を開きたいって言われて、画廊じゃないから大急ぎで用意して、40点くらい作品を飾ったの。そしたらびっくりするくらい沢山の人が来ちゃって。
その中に主人がいて。主人も昔から画廊をやりたいという夢があって、それで結婚して、この家を買ったの。How How Howw!」。
すげー! 僕も結婚しちゃいたい! と思いながらワインをおかわりする。
「その前にもボリビア人でギャラリーをやってる人から、自分のギャラリーを買わないかって聞かれたことがあったの。だけどその時は、私にそんなことできるわけないって思って断ったんだけど。気づいたらギャラリーをやってたわ!How How Howw!」。
デコギャラリーができたのは'81年。
「こないだも、ブラジル人の26才と23才の男の子が遊びにきて、『このギャラリーはあなたより年とってるわよ』なんて言ってたのよ」。
「デコ・ギャラリーのコンセプトは、日本の作品やブラジル在住の日本人アーティストを紹介すること。はじめはブラジル人の展覧会もしてたんだけど、なぜかうちではブラジル人の作品が売れないの。それで、ブラジル人の友達に相談したら、『ブラジル人の作品や他のギャラリーと同じようなアーティストを扱っても売れないから、日本人や日系人専門にしたら?』って言われたの。で、それもいいかもって思ったのがはじまり」。
「'91年のサンパウロ・ビエンナーレに日本人のアーティストが大勢来て、その時お世話した人たちの多くがブラジルを気に入って、その中の一人で焼き物やってる子が、学生のアシスタントをたくさん連れてきて、1ヶ月くらい制作と展覧会をやったの。みんなこのギャラリーで雑魚寝して。そんなことをしてるうちに、日本の若いアーティストが次々と来て展覧会を開いてくれるようになったの。今では、ビエンナーレのときにアシスタントだった子が、立派なアーティストに成長して戻って来てくれたりね」。
「日本ではコンテンポラリー・アートって売れないの。でもブラジル人は気持ちが大きいから、目新しいものを受け入れてくれる。それに、ここで日本人の作品がうけるのは、前にブラジルに来て活躍した先駆者たちが信頼を築いてくれたってことも大きいのよ。
アートフェアで、他のギャラリーの主人たちも、『デコに行くと面白いものがある!』って噂してるの。草間彌生さんの版画も本当は日本でしか扱ってないんだけど、ここでは特別に置かせていただいてる」。
「私は日本から来て、日系社会にもどっぷり浸かってもいないし、ここまですごくゆっくりと過ごして来た感じ。これからは、お金もかかるし難しいと思うけど、アートティスト・レジデンスをやってみたいと思ってる。もっと日本の若いアーティストを紹介して、彼らにもブラジルの雰囲気を感じてほしいの!」。
「今年は日系移民100年祭で、日系アートの展示会がものすごく多い。こんなところで!? って場所でも展覧会をやっていて、全部行けないくらい。うちのギャラリーからも、たくさんの作品を貸し出したの。そしたらうちには何もなくなっちゃったわよHow How Howww!」。
すげー! 僕もなくなっちゃいたい! と思いながらワインをおかわりした。