釜ヶ崎連続WEB小説
第十回「占い」
文・安藤久雄
写真・若原瑞昌
鍵ならなんでも開ける男のもとに、親子連れの客がやって来た。闇を彷徨う男たちの心に、風穴ならぬ鍵穴を開ける物語。
俺は毎夕、エコーを買う。
きついだけでたいして美味くない。
けど240円やから買う。
通りの角にある、あの昔ながらの煙草屋で買う。
映画や漫画に出てきそうな、いかにもって感じのお婆さんから買う。
きっちり240円あっても、あえて250円、ない時は300円を手渡す。
今日も小銭はようけある。
そやけど今日は、ちゃうことをしてみたい。
一呼吸置いてから、おもむろに一万円札を差し出す。
虚を衝かれたお婆さんは、早速エコーを取り落とした。
気を取り直して札を手にしたお婆さんの手は、電動マッサージ機よりも震えている。
カツカツカツカツと、お釣りの入った抽き出しに、固い手が当たる音が響き渡り、やおら俺は高揚してゆく。
そしてその時がやってきた。
「はああ〜い、きゅ〜千、な〜な百、ろ〜く十円のお返しぃ〜。あぁっ!」
チャリーンチャリーンチャリーンと小銭が飛んでゆく。
右。
で、札はというと宙に舞い、吹いて来た風に煽られる。
そして、まさかの左......。
「あぁああ〜。」と呻きながら立とうとするお婆さんを、先ずは軽く制する。
いつもならそこから、何食わぬ顔で小銭を拾い、その方角に自転車を走らせる。
けど今日は少し慌てて、先ずは札、そして小銭を拾いながら行き先について考える。
うーん、間を取って後ろか......。
毎日たいがい右か左で、後ろは今まで一回しか行ったことがない。
ま、それでもなんとか行き先が決まった。
この占いに、大した意味なんてない。
そやけど今日は、なんやたいそうなことをした心持ちになった。
慣れない道を往きながら、先ずは鉄屑のありかを考えて、だいたいの目星がつくと、思いはゆうべのことに至った。
変わった客やった。親子連れで、「坊主の家の、部屋と抽き出しの鍵を開けてほしい。二万円払う。」と、しわがれた声の親父が言った。堅気の奴にはない、妙な迫力があった。
気圧されたわけではない。煙草屋のお婆さんの占いにしてもそうだが、俺は人が決めてくれる未来に安心する。そして、鍵を開けてる間はもっと安心する。ただそれだけのことや。
家は夕陽ケ丘。「タクシー拾うか?」と言われたが、俺は自転車を放っておきたくないから断った。そやけど寺町の坂道は余りに長く、俺はついつい余計なことを聞いた。
「さっき、坊主の家て言うてたけど、あんたら一緒に住んでへんのん?」
親父はこっちを一瞥したけど、激しく息を切らして答えることができず、代わりに坊主が答えてくれた。
「僕の家ってのはぁ、死んだお母さんの実家でぇ、そこのお爺ちゃんてのがぁ、お父さんのことむっちゃ嫌いでぇ、はぁ、はぁ、僕をお父さんのとこにやるのをぉ、ずっと阻止してんのぉ。」
なるほど。そのあとはもう、家に着くまで一言も喋らへんかった。
だいぶ汗をかいた。合羽を一枚脱ぎながら見上げると、家と言うより屋敷やった。
「セコムとかしてへんし、爺ちゃんはメイドと社交ダンスに行ってる......って、僕が誘拐されてる時に行かへんか......。ま、そやけど電気消えてるし、平気やと思う。」と、坊主が妙なことを言いながら、ポッケから鍵の束を出した。そして先ずは門、そして玄関と、なんや少し楽しそうに鍵を開けていった。
屋敷に入ると、加齢臭と白粉と香水の絡み合った臭いにくらくらした。
「小夜子の部屋、どこやったっけ?」と親父が問い、「お母さんの部屋、こっちやで!」と坊主が階段を上りはじめる。
俺はもう一枚脱いでから、木造校舎のそれに似た階段を、ゆっくりゆっくり、時を遡るようにして上っていった。
「ここやで。」と言う坊主の顔が、昔の幼なじみの顔に見えて、「ほな、早速頼むわ。」と親父に言われるまで、俺の頬はとろーんと緩んでいた。
年代物の鍵やった。俺は目を閉じて、水飴みたいなその柔らかさを楽しんだ。
カシャ。
か細い女のくしゃみのように、鍵が鳴いた。
親父は小さく一礼すると、風のように部屋へ滑り込み、直立のまま動かなくなった。
坊主がゆっくりと近づいてゆき、「お父さん、これ。」と、親父にハンカチを手渡した。
親父はそれで、ごしごしと目を拭き、最後にチーンと鼻をかんだ。
「ふぅ。ほな大先生、もひとつの鍵、頼むわ。」
親父は上を向いたまま、指先だけで机を指した。
近づいてみると、いちばん上の抽き出しに、猫の目くらいの鍵が付いてた。
俺は再び目を閉じて、鍵の向こうの静けさを全身で感じる。
ずっと眠り続けてきたほかほかの闇に、微かな光が差し込む。
カチッ。
光が手元を照らした瞬間、鍵が鳴いた。
「おおきに。」と、今度はちゃんと声に出して言った親父が、はやる気持ちを押さえるように、そろりそろりと抽き出しを開け、迷わずまっすぐ腕を伸ばした。
親父は、「今度のは、鍵付いてへんわ。」と、手にした小箱をゆっくりと開け、「あったぁ。」と、少年のように微笑んだ。
坊主は机の上に飛び乗り、俺はゆっくり立ち上がって、おのおの小箱を覗いてみる。
「歯......?」と、坊主が素っ頓狂な声で聞いた。
「うん。小夜子の親知らず。これで小夜子のすべてが揃った。」
「すべて? すべてってなんなん?」
「骨。」
「骨? 盗んだの?」
「うん。」
「うん、て墓から?」
「うん。墓から。」
「で、どないするん?」
「どないもせえへん。一緒におる。」
「なんやそれ。こどもの発想やな。」
「そないなこと......。」
「はぁ〜。」と、坊主は深くため息をついた。
「ぷっ。どっちが親かわからへんなぁ。」と、思わず声を出してしもうた。
「ほんまやなぁ、おっちゃん。」
「うん、ほんまや。」
ははははは、と笑う二人に挟まれて、親父は少ししゅんとしてたが、すぐにニヤニヤと一緒に笑うた。
それがゆうべの出来事や。
ただ、それだけのことや。
そろそろ車の整備工場。
今日は、なんやええもん貰える気がする。
ええもん貰えんかったとしても、まぁええ。
帰り道、とびきりかわいいぬいぐるみを買おう。
ゆうべは二つ、鍵開けたから、ぬいぐるみも二つ。
「あ......、社長さーん、なんや要らんもん、ありませんかー?」
■過去連載記事:
第一回「脱げない」
第二回「消えない」
第三回「覚束ない」
第四回「浪速クラブ」
第五回「喫茶カローラ」
第六回「手が出ない」
第七回「ホーリーない」
第八回「隠せない」
第九回「見たくない」