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Nikkei Brasileiros! vol.12

KIMI NI(陶芸家)

 日伯交流100周年企画
後援=在日ブラジル大使館
協 力=AMERICAN AIRLINE

Photoraphs & Text by Mizuaki Wakahara(D-CORD)
Directed by Ryusuke Shimodate
Edit by Tomoko Komori

Camera Assistant by Yayoi Yamashita
Coordinated by Tamiko Hosokawa (BUMBA) / Erico Marmiroli


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2008 年、地球の裏側ブラジルへの移民がはじまって100年の月日が流れた。今では150万人を超える日系人が暮らしている。 南半球最大都市サンパウロへ「japon」に会いに旅にでた、日系ブラジル人ポートレイト集。

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2008年10月10日 

 やっぱりだいぶ遅刻したが、もう諦めもついていた。コーディネイターは今朝のエリコから多美子さんにバトンタッチされている。
 サンパウロの市街を一望できる高台でタクシーが止まった。入口の門の呼び鈴を鳴らすと、「あら~いらっしゃい~!」とアニメのキャラクターのような優しい声で、小柄なキミさんが迎えてくれた。その声を聴いてなんとも幸せな気持ちになったことを今でも覚えている。人懐っこい笑顔も忘れられない。作品で埋めつくされた気持ち良い空間。ショップも兼ねている彼女の事務所で、ゆらゆらとインタビューが始まった。


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 1957年、両親と兄弟とともにブラジルに移住したとき、キミさんは9歳だった。父の会社が破産したために、仕事を求めて、いちかばちか見知らぬ地ブラジルへ、一家の夢を託して乗り込んだのだった。9歳とはいえ、家庭がどういう状況で日本を離れなければならないかという状況をキミさんも理解していた。「日本と比べると、ずいぶんと遅れているな~」というのが率直なブラジルの印象だったようだ。と同時に、「人々がみんなニコニコしていて温かく人間味がある。それは今も変わらないけど、ブラジルのそういうところが好きだったわ!」と微笑んだ。その言葉にはブラジルへの愛情がにじみでていて、聴いている僕のほうが嬉しくなってしまうほどだった。キミさんのような気質の人にブラジルという土壌が合わない訳がない。少し話しただけで、キミさんは来るべきして来た移民のように僕には思えた。「何もかもが日本と正反対。外国ってすごいな~って思ったのよ」。
 キミさんはまるで子供のように話す。おっとりした性格が女の子っぽいのだと思っていたが、もしかしたら日本語の感覚が9歳の日本語で止まっているのかもしれない。どちらにしろ凄く癒される。


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 キミさんと陶芸との出会いは大学生のころ。当時、グラフィックデザイナーの事務所でアルバイトをしていたが、卒業後は自分の一番好きなことを仕事にしたいと思っていたから、興味を持ったことをいろいろ試してみようと思っていた。お茶を習いたい。織物をしたい。絵を描きたい。焼き物もそんな候補の一つであったが、たまたま他のことよりも早くチャレンジする機会を得た。「最初にやったのが焼き物でね、一度やったら気に入って、子供のような気持ちになったのよ」。 しかし陶芸家として生きていくことが、どれだけ大変かということもわかっていたので、その道に進むかどうか迷っていた。そんなとき、世界旅行中のいとこがブラジルのキミさんを訪ねて来る。陶芸の話をする、と偶然そのいとこも同じ悩みを持っていた。広告の仕事をしているのだが、最近始めた陶芸が楽しくてしかたがないと言う。
  「ならば一緒に働こう!」。
 そんな偶然の出来事がキミさんを陶芸へと導いたのである。


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 「あの頃は今と違って何もない時代だったから、すべて自分たちでゼロから築きあげたのよ。窯もつくったし、粘土も調合したし。陶芸そのものが珍しかったからね。今でも一般的なブラジル人には馴染みのないものでしょうね。『これ何でできてるの?』ってよく聞かれるもの。『土でできています!』って言うと、みんなきょとんとするわ。だから、お客さんもアーティストとか建築家とか、デザインに興味がある人たちばかりね。少しずつブラジル社会にも浸透しているけど、日本と比べたらまだまだね」。


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 キミさんの作品はとても和風だ。「いつも日本風だと言われる。特に日本人の方からそう言われるけど、自分ではわからないの。ただ自分のやりたいように表現しているから。きっと私が日本人だから自然とそうなっているのね。わたしのシグネチャーモデルと言えば『どんぐり』なのよ。みんなコマみたいって言うけどね。『どんぐり』って言葉の響きが好きだから、わたしはそう呼んでるの」。


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 事務所に隣接する工場を案内してもらうと、華麗な手さばきで粘土を操るブラジル人が作業していた。どうやらお弟子さんらしい。「彼は一番長く働いてくれてるの。最初にあったときは彼まだ16歳で、何も知らない青年だったのよ。今は制作のほとんどを任せているわ。私がやっているのはもうデザインだけ。彼はそれを忠実に形にしてくれるのよ」。
 他にも何人かのスタッフに会ったが、みんなキミさんと同様におっとりした方々だった。
取材気分だったのは最初の3分で、それ以降はこの空間を包んでいるゆったりとした気のながれに浮いてるような時間を過ごした。
 結局長居してしまった。次の約束の時間ぎりぎりまで、話はつきなかった。キミさんが禅の文化が大好きで、それをまわりのブラジル人に広めている、というような興味深い話にもなったけど、もはやテープも回していなかったので思い出せない。


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 お土産にと、キミさんの作品をプレゼントしてもらった。コバルトブルーと茶色のコンビネーションのエスプレッソカップを選んだ。それらを持ち帰るように包んでくれているとき、何かおまじないをかけているように見えたが、僕の思い過ごしだろうか。


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 呼んでもらったタクシーに乗り込むとキミさんがコツコツと窓を叩いた。窓を開けると「カメラには気をつけてね」と優しく呟いた。ポルトガル語でまた合いましょうと言って僕らは別れた。


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 再会はすぐに訪れた。その週末の夜、僕のポルトガル語家庭教師の弟さんからディナーに誘ってもらったのだが、そこへキミさんも呼ばれていた。僕らが来ることを知っていたらしく、「あら~また会ったわね~」とニヤニヤ笑っていた。いろんな人が集まり、10人ほどでシュハスカリアに行ったが、キミさんがあまりにも毒舌で面白かった。タンタンと周りをいじっては、にやりとする。その嬉しそうな顔ったら、小学生のようだ。そのうえ僕の耳元で何度も"悪魔のささやき"をしたことか。 以来、僕の中でキミさんと言えば、著名な陶芸家ではなく、妖精のような癒しの存在でもなく、小学生コトバのいたずらっ娘でしかない。


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