Nikkei Brasileiros! vol.7
ジュンイチ・サイトウ(ブラジル空軍総司令官)
日伯交流100周年企画
後援=在日ブラジル大使館
協
力=AMERICAN AIRLINE
Photoraphs &
Text by Mizuaki Wakahara(D-CORD)
Directed by Ryusuke Shimodate
Edit by Tomoko Komori
Camera Assistant by Yayoi Yamashita
Coordinated
by Tamiko Hosokawa (BUMBA) / Erico Marmiroli
2008 年、地球の裏側ブラジルへの移民がはじまって100年の月日が流れた。今では150万人を超える日系人が暮らしている。 南半球最大都市サンパウロへ「japon」に会いに旅にでた、日系ブラジル人ポートレイト集。
2008年10月8日
アルモニア学園の取材を終えた僕たちは、サンパウロの中心部へとんぼ返り。本日2本目の取材地はブラジル空軍のサンパウロ支部。現ブラジル空軍総司令官であるジュンイチ・サイトウさんのもとへ向かう。そもそも「軍隊の施設」なるところへ足を踏み入れる経験すら初めてなので、映画などで見るような世界を垣間見れることだけでも楽しみでならない。
普段はブラジルの首都であるブラジリアの空軍本部に勤務されているサイトウさんだが、今日は会議のための出張でサンパウロまで来ている。数時間の滞在後すぐにブラジリアへ戻るそうだが、その会議後のわずかなお時間をいただけることになった。ただし、ほんの数分だけと言われている。当初なんとか時間を捻出してブラジリアまで訪問する予定だったので、ここサンパウロで取材できることは本当にツキに恵まれた。
藤の花のような薄むらさき色の花が満開で、片側4斜線もある大きな通りを彩っている。そんな美しい景色に迎えられ、僕らは目的地に無事到着した。守衛さんに身分証を見せ、乗っていたタクシーごと施設の敷地内へ入れてもらうことができた。入り口のゲートをくぐった後も薄むらさき色の花々が視界から途切れることがない。それは桜の咲く日本の光景を連想させ、ブラジルでは今まさに春が訪れているんだと実感した。
さらに奥まで進み、指定された場所で車を降りた。迷彩服に身を包んだ軍人たちが歩きまわっている。もの珍しさにそこらじゅうを撮影したいが、きっとこういう場所はむやみに撮ってはいけないはずだ。写真家をやっていると、そういう微妙なシチュエーション(敢えて表記されてはいないが撮影禁止)によく出くわすが、そんなときにいかに撮れるかが、写真家としての度量が試される。いつも決して臆さないようにしている。場の雰囲気にもよるが、無邪気さを装って〈被写体に夢中すぎて、空気を読んで自粛する余裕すらない感じ〉をうまく演じられると怒られる可能性も低い。
案の定、2、3枚撮ったくらいですぐに軍人が駆け寄って来た。軍の敷地内はさすがにリアクションが早い。その男は携帯で電話をしながらもジェスチャーで禁止を訴えた。とりあえずにっこり笑って去るしかない。そこから沢山ある倉庫や格納庫を抜け、やや奥まった場所にあるメインの建物まで歩いた。
軍の広報のチーフと合流し応接室に通され、そこで様々なスタッフとあらためて挨拶をした。サイトウさんはまだ会議中だということで、その間にサンパウロ支部の最高司令官の部屋を見学させていただいた。窓から差し込む光の美しい空間は厳かで、教会のように深い静けさを感じる。その部屋の正面にはルーラ大統領の写真が掲げられているが、驚いたのはその横にサイトウさんの写真が並んでいることだった。「格付けは大統領級か!」と今さらながら、凄い人物と対面できるこの機会を光栄に思った。
サイトウさんはサンパウロ州出身の日系2世。'60年に空軍士官学校に入学。その後長きに渡りパイロットとして大空を飛び回る。一歩一歩キャリアを積み上げ、昨年ブラジル空軍総司令官に就任。日系人としては初めての最高位軍人である。
サイトウさんの会議が終わるのを待つために、僕らには部屋が用意され、お茶や果物をいただいた。ランチの時間がなかったので、嬉しい差し入れだった。40分ほどたって、「まもなくいらっしゃるようです」と声が掛かった。居心地の良さに散々伸ばしていた羽をしまい、ロケハンした場所の光の具合を確かめ、機材とともにスタンバイした。緊張感が増したのは僕たちだけではなく、そこに居合わせたスタッフの方々も、今までとは確実に違う表情に変わった。NO.1の登場だ。
驚くほど多くの取り巻き(側近なのか秘書なのか護衛なのか?)を引き連れ、リングへ向かう格闘家のように、サイトウさんは現れた。彼らはサイトウさんを囲むように部屋の壁際に整列した。凄い圧迫感だ。コーディネーターのタミコさんが話し出す前に、いきなりサイトウさんがポルトガル語で口を開いた。「撮影する人はどなたですか?」。威厳がある。慌てて一歩前に出て、「写真家のワカハラです。はじめまして」。と挨拶をすると、僕の目の前まで歩み寄り、突然話し始めた。タミコさんも慌てながら、その言葉を訳してくれた。
「私は写真にはうるさい方だ。先日ある写真家が撮影に来た時も、写真が良くないし、どうもフィーリングが合わなかったので帰らせた。それに服装も品がなかったしね」。完全にやばい。僕はその時ディッキーズのチノパンにナイキSBのスニーカー姿。つまり〈オマエもダメだ! ってことか?〉 と冷や汗が出る。サイトウさんは続けて「私を撮るのはとても難しいが、あなたには上手く撮れるか?」と質問が飛んできた。挨拶代わりの一発とはまさにこのことか? まったく想定外の展開に、とっさに口から出たポルトガル語が「問題ないっす! 任せてください!」だった。ドッと取り巻きが笑い、サイトウさんも笑みをこぼした。すぐに撮り始めたが、もう自分のペースだった。好きな間合いでポートレイトを撮り、サイトウさんも心地よさそうだ。ファインダー越しに立つその姿は自信に満ち溢れ、しっかり対峙するにはこちらも後ろ足を踏ん張らねばならない。最初5分と言われていた撮影時間も気づけばだいぶ過ぎていた。「撮れました。ありがとうございます」。とお礼を言うと、「この後、軍の空港へ来て私と飛行機を撮る時間はあるか?」と聞かれた。時間は全くなかったが、もちろん「あります!」と答えた。
軍の用意してくれたバンに乗り込み、空軍の空港へと向かった。車の中からこのあと取材する予定の漫画家エリカ・アワノさんに電話をして約束の時間を変更していただいた。あの伝説のF1ドライバー、アイルトン・セナの名前を冠したハイウェイを南下しながら、曇り空を見上げた。バタバタした現場と予期せぬ展開をもう一人の冷静な自分が笑っている。隣に座っているディレクターの隆介も、何とも言えない顔をしていた。
空港に着くと、ほとんど同時に到着したサイトウさんの秘書が僕らを呼びに来た。「すぐに出発するから、急いで撮影してください!」その秘書に導かれて空港オフィスを通り抜けると視界一面に滑走路が広がり、正面に想像していたより遥かに巨大なサイトウさん専用機が横たわっている。お見送りの部下や関係者50人ほどが見守る中、再び撮影が始まった。その流れで機内まで入ると、そこはアメリカのTVドラマ『24-TWENTY FOUR-』で米大統領が専用機で移動するシーンで見たような風景だった。せっかくなのであれこれリクエストを言わせていただき〈機内での仕事の様子〉と題したフィクション演技までお願いしてしまった。本当に滅多にお目にかかれない貴重な場面を記録することができた。
「サイトウさん、ありがとうございました」。
硬い握手をしてお別れした。サイトウさんは搭乗する階段の上から敬礼し、その姿は機内へと消えた。
専用機にエンジンがかかると皆オフィス内へ戻ったが、ガラス越しでなく外で離陸するところを撮影したいとお願いし、再度滑走路に出た。ジェットはゆっくりと旋回しメインコースへと入って行く。猛烈なエンジン音と凄まじい熱風が押し寄せた。立っているだけでも困難なので、しゃがんで膝を付いた。サイトウさんは雲の中に消え、撮影もやっと終了した。
「顔が焼けるくらい熱くて、息もできないくらいでしたよ!」と熱風を浴びたカメラ・アシスタントの弥生が言っていた。彼女はいつもこういう出来事を人一倍喜ぶ。この体験をゆっくりと噛み締めたいところだが、リベルダージにエリカさんを待たせてしまっているので、また慌ただしい移動がはじまる。
サイトウさんは間違いなく日系ブラジル人の誇りであり、最も成功した日系人のひとりだ。本来なら日系人としてどのようにブラジル社会と向き合いながら現在のポジションにたどり着いたのかお話を聞きたいところだが、それはまた次回にとっておこう。サイトウさんのさらなるご活躍を心から願っています。そして軍関係者のご協力にも感謝いたします。ありがとうございました。