トライバル化するロンドン、東京。
原田美砂 × 緒方誠一
Text by Kazuki Hoshino
マッドチェスター・ブームから端を発したレイブ・ムーブメントに沸き返る 80年代後半のロンドン。D-CORD主宰・緒方氏とMISA HARADAデザイナー・原田氏は、〈セカンド・サマー・オブ・ラブ〉と呼ばれた季節のロンドンにいた。そして2011年、インターネットの出現によって〈コクーン=繭化〉〈部族化〉した厳寒のロンドンで再会。'80年代後半の狂乱の季節、そして’10年代のライフスタイルとクリエイティブについて語ってもらった。
緒方 ロンドンでは20年ぶりだよね。美砂ちゃんと最初に会ったのっていつだっけ?
原田 '87年ですね。私が通学中に地下鉄で、緒方さんのフラット・メイトのよしみちゃんを見て、ひょんなきっかけで話すようになって、ある時アールズコートのフラットに行ったの。で、たまたま行ってるクラブが一緒で会うようになった。鮮明に覚えてますよ。
緒方 当時はアセンションに毎週通ってましたよね。みんなオシャレだったし、クラブでいろんな人に会ったよね。
原田 有名人だった、ドラッグ・クィーンのリーバウリー覚えてる? ノーメイクの彼と日中ばったり会ったりしてましたよ。オーストラリア人の普通のデブのおっさんで(笑)。あのころの彼らは、一週間ずっと週末の服のことを考えて、なにを着ていくかっていうクリエイションの世界だったよね。今みたいに流行のものだけを着ていくんじゃなくて、自分の思う世界をつくりあげていたよね。
緒方 オリジナリティどころじゃなくて、あの人たちがクラブに来ると雰囲気が別物になったよね。無言で踊ってるだけなのに。ロンドンに来て何に一番刺激を受けたかって、クラブだった。アセンション、ヘブン、カフェ・ド・パリスとか。ロンドンは不況だったけど、勢いはハンパじゃなかったよ。
原田 今みたいにインターネットはない世界だから、フライヤーを手配りして。口コミの世界だよね。エントランスでも「君はOK。君はダメ」みたいな。ださい人は入れなかったもんね、いくらコネがあっても。
緒方 音楽もかっこよかったよね。
原田 当時、'80年代の後半にかかってたのは'70年代のディスコ。で、今のロンドンもやっぱりディスコなの。同じことが起こってるのよ。
緒方 おお。オンタイムの私たちはどう対処すればいいんだろう(笑)。
原田 同じようにファッションも今'70年代の波がきてる。個人的にはそれをベタに繰り返したくないんで、70年代の影響が'20年代にある、という奥までたどって皮肉りたいと思ってる。そのまんまの'70年代にハマらないようにしないとね。
Misa Harada 2011SSコレクションより緒方 一度経験してるからね(笑)。でも、わたしも今回夜繰り出した方がいいんだろうか。ロンドンに住んでる30代のヘアメイクさんに聞いたんだけど、夜は外に出てないってね。ライフスタイルが変わってきたんだろうね。
原田 ファッションのトレンドの将来を見るというところで分析すると、インターネットが広まったことで、コクーン・カルチャーになってきている。人が繭のように家に閉じこもるようになってきた。外に出るのは、ゲイとか、ソーシャルを求めたい人だよね。クラブに行ってる人は、今は20代でもよっぽど好きな人。かなり少なくなりましたよ。
緒方 ちょうどわたしは'90年に日本に帰ったから。ちょうどレイブのムーブメントが起きようとしていたときですよね。大きなウェアハウスに、だーっと人が集まって、酒も呑まないで水だけで踊りまくる。で、20年ぶりに戻ってきたのに'80年代にまた逆戻りしてるのがすごく不思議。風景はモダンになってるのに、カルチャーは'80年代っていう。
原田 '80年代のロンドンを経験してきて、思い出してみるとあのダサさったらなかったと思う。でも、'90年代を通過してきて、今になってやっと、いいよね、と。今日、毛をたてた'80年代ファッションの女子が歩いてたじゃない。
緒方 時間が止まってるんじゃないかっていう人、意外とたくさんいた。私はこれが好きだからこれしかやらないっていうこだわりの生き方、みたいな。
原田 だって象徴的なのは、MCハマーみたいなパンツ覚えてる? あんなださいものないなって思っていたのが、今になると「おっしゃれー」って(笑)。トップショップ行けばハーレム・パンツどこにも売ってるよ。
緒方 初めて見るからかな。すごいよね。違った感覚でとらえるんだよね。
原田 私も恥ずかしいですがハーレムを買ってしまいました。だせー(笑)。
緒方 でも、'86年から'90年の4年間ロンドンにいられたっていうのは幸運だったと思う。
すごい時代だったってみんな言うもんね。
原田 こないだ仕事で会った人に、当時のクラブの写真を集めた写真集をもらったの。ニュー・ロマンティック、ボーイ・ジョージ、ガリアーノ(笑)。
緒方 ボーイ・ジョージ、クラブによくいたわ!
原田 ゴルチェとかも来てたし。あのへんの人たちは半分がお亡くなりになって、半分がリハビリ生活って感じなのかな(笑)。そのとき私は18歳で一番若造だった。
緒方 わたしはもうちょっと早くロンドンに来れればいいなと思ったな。ほんっと、週末を楽しみに毎日過ごしてたから。ベロベロでビッグな人に話しかけて、朝になったら記憶がないという。完全に頭が開いてたよ(笑)。
原田 今はそういう場所ないからね。インターネットの発展によるコクーン化と、トライバリズム=部族化。私が大学院とき、'94年ぐらいにRCAの論文で書かされたんだけど。「私はこれが好きです、だからそっちには入って行きません」と。'80年代は仕切りがなかったじゃん。全部受け入れてもOKだったの。でも今はインフォメーションがあるから、自分の好きなところにしか行かないし、同じ人にしか会わないし、自分と違う人は興味ないみたいな。
緒方 それは予言されていたわけだ。インターネットでいろんな商品も買えるし、運んでくれるし。
原田 私たちの時代は、買いにいかなくても自分たちで古着をリメイクしてつくったりしてたじゃん。でも今はみんなコーディネイトの世界だから。
緒方 リメイクされたものが商品化されてるしね。日本でもカテゴライズされて部族化されてますよ。森ガールとか(笑)。自分の趣味に特化したファッションですよね。
原田 それにターゲットをあわせたファッションも商品化されてるし。私たちの時代はそれはなかったし、求めてなかった。だから毎週どの部族にもなれた。それを作り手としてすごく感じている。このつくられたトレンドって何なんだろうって。でもそれはファッション業界がつくり出してる。たとえば、トップショップはロンドンのファッション・ウィークのスポンサーだし。
緒方 なるほど。
原田 そのシステムの連鎖は止まらないんだよね。だから、今クリエイターにとっては、他と差別化できる商品をつくっていかなくてはいけない。私の帽子はタイムレスな作品をつくろうというのが目標なの。流行に反映しない物を意識している。時間が経っても、コーディネイトしなおせる帽子っていうのを。
緒方 美砂ちゃんは帽子のクリエイションをロンドンでやっているんだけど、世界中で売ってるわけでしょ。そこまで考えて流行を考えなくてはいけないでしょう。
原田 よく聞かれる質問なんだけど、帽子っていうのは、最終的に全体のシルエットを完結させるアイテムだから、そのときの服のシルエットに影響される。ボリュームを下げたり上げたり。あとは素材。でもそんなに私の中では、流行に関して言えば影響されていないかも。というか意図的に距離をとっている。
Misa Harada 2011SSコレクションより緒方 わたしはブラッド・ピットとジェニファー・アニストンの結婚式のウェディング・ベールをつくったと聞いて、すごいなと思った。
原田 でも自分でわからないのよ。ブレイクというのを体感したわけではなくて、一個一個イベントが起こって、売れて行くようになったというか。アメリカでキャンペーンに使われて大きいオーダーが入りましたとか。ドラマとか映画に使われても、世界に広まるわけではなくて、オーダー数は上がるんだけど、ブレイクしてるっていう実感するほどではなかったの。じわじわという感じ。でも今、それがフェイスブック、ツイッターの世界だったら、ドカンと行くでしょうね。
緒方 今は情報が早いもんね。
原田 っていうより、今は情報の方が先だから。でも私の帽子に関しては、ロイヤルなお客さんというか、リピーターが多くてじわじわと広まっている。たとえばバーニーズはブランドが始まってからずっと取引が続いている。'98年に展示会をパリでやって、バーニーズが来てくれた。当時は自分でつくって、自分でオーダーとって、自分で発送してた。手づくりでしたよ。
緒方 まず情報じゃなくって、いい商品ありきってことだよね。ミサちゃんのアトリエに来てみると、みんな黙々と作業してるでしょ。そこがブランドを支えているのかと。
原田 ほとんど手作業の世界ですよ。チープな帽子は、私が手に取ってみると、裁断の仕方とか素材から安くできてるなってみえてしまう。作り手と消費者の見方は違うと思うんだけど。帽子も洋服もそうじゃないかと思うんだけど、素材、立ち方、縫製、仕組みのよさ、何年も使ってると何かの良さがわかると思うの。
緒方 海外で成功して、日本には逆輸入。すばらしい。わたしもあの時はロンドンにしがみつきたかったけど結局帰ってきたし。最後はゲイのおねえちゃんと結婚するしかないかなって感じだったもん(笑)。
原田 今はビザ関係は厳しいのよ。たとえばスタッフにいるんだけど、イギリス人と結婚してる人でもテストがあるのね。ほんとに結婚してるかっていう〈イギリス人テスト〉が。手を上げて、王女様にまず宣誓するんだけど、イギリスの国民は何人ですかとか、そういう問題にパスしなきゃいけないんだって。びっくりしたよ。そんなの知らないよって(笑)。
緒方 わたしがロンドンにいたのは4年間ぐらいなんだけど、中身が濃かったし、日本では学べないことを学んだ。日本では「これはやっちゃだめだな」と限界を決めてしまいがちなんだけど「これもありなんだ、これもいいじゃん」って、可能性を広げることができた。それが今の自分に影響を与えたんだろうと。そこで、日本とロンドンの差を考えると、クリエイターの仕事をやるにあたって、日本はどうしてもビジネスだけにつなげちゃって、結果が出ないと、すぐにおしまいになってしまう。
原田 日本はすぐにお金になるからその点ではいいんだよね。でロンドンは、アーティスト=貧乏人だけど、そういう意味では余裕がある。
緒方 今はさらに早い流れになってる。だから、もうちょっと育てたり、時間かけてモノをつくる場所をつくらないといけないなと思ってるんだよね。
原田美砂 Misa Harada『misaharada london』のデザイナー/ディレクター。'94年にロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートを卒業後、英国王室ご用達ミリナリーブランド『Frederick Fox』に勤務。この時作製した帽子がエリザベス女王在位50周年記念式典のパレード用の帽子に選ばれる。'98年、初のレディース・コレクションをパリのプルミエールクラスで発表。その後、ジェニファー・アニストンとブラッド・ピットの結婚式のウェディング・ベール、ジャネット・ジャクソンのワールドツアーの帽子の作製。また『Sex and the City』や『アリー my Love』などのTV番組で使用されるなど、セレブやメディアへ多くの反響を呼ぶ。近年は、ローリング・ストーンズ、ブリトニー・スピアーズ、シザー・シスターズなどのアーティストや、Hermes、Missoni、Bora Aksu、Yohji Yamamoto、Thierry Mugler、Owen Gaster、Reemなどのメゾンと仕事をする。そのほかメンズラインの発表、TVやラジオ出演など多方面にて活躍中。