木や動物の剥製、毛皮、自らの血液、写真や映像など多岐にわたるメディアを用いて、人間の痛覚や変容をとらえる作品を発表してきたアーティスト・小谷元彦は、ファッションや音楽に負けないほどユース・カルチャーに影響を与えてきた。スタイリッシュさを隠れ蓑に、見る者に嫌悪感すら与えかねない猛毒を込め続ける彼は、我々に何を問いかけようとしているのか? 同じく京都出身で同世代のヘアスタイリスト・河原里美が、ファッション・シーンにたずさわるクリエイターの視点から対話を試みることで、彼の現在に迫った。
小谷 僕は三条河原町なんです。京都の中心部の繁華街だったので、買い物をするにも遊ぶにしても全てが周辺で事足りてしまう。なので、小さい頃からずっと三条のあたりばかりうろうろしていました。
河原 20歳そこそこの頃、三条の美容室で働いていたことがあったんです。〈本能寺の変〉があった、正に本能寺の裏手の地下だったんですが、やっぱり店中にダークな空気が満ちあふれていまして(笑)。
小谷 僕の実家は洋裁店だったんですが、家の前はにぎやかな通りに面していたけど、裏が墓地という、異様なコントラストの場所だったんです。一方、繁華街の横道を一歩入れば、閑散としていて、ゲームセンターやポルノ映画館が点在していた。道を歩いてるのは悪そうな大人にみえたし「あそこは行ったらあかん」と言われるような恐い場所でしたね。いまでこそ通りにその面影はなくなりましたが、今思い返せばかなり混沌としたエリアだったんだなと思います。
小谷 ありましたね。よく覚えていますよ。裏口の前の公園でいつも遊んでいたんで、よく出てくる芸人さんを見かけていましたね。関西のガキになめられるの嫌やからでしょうね。絶対相手にしてくれなかったんですが。新京極歩いてて、表の看板には変なポーズとって写真にうつってるでしょ。でも裏口で見てるとごっつ機嫌悪そうにみえたもんです。僕にとって芸人さんって、いろんな意味で恐いイメージでしたね。坂田利夫師匠とか話しかけることなんてできなかったし。
小谷 そりゃ隣にいた前田五郎の方がもっと恐かったと思いますけど、実際は(笑)。そんな環境でしたから、もちろんお笑い好きでしたよ。当時は『あっちこっち丁稚』っていうコント番組の、木村あきらの〈赤フン男〉とか大好きでしたね。
小谷 山田スミ子がヒステリックに大声をあげると、赤フン男が突然登場する、というお決まりのパターンがあるんですけど、あれは尋常じゃなかったですよ、今思えば。なんかわからんけど、ものすごい恐かった記憶があります。狂ってましたよね。あの原体験があって、そのあと岡八郎とか花紀京を好きになっていきました。
河原 毎週土曜日は吉本新喜劇を見ていたりとか、やっぱり関西人の下地にお笑いはべったり刷り込まれてますよね。私の仕事はクライアントありきですから毎回そうはいきませんが、仕事にユーモアやウィットを入れていきたいって、いつも考えてしまう自分がいます。
小谷 僕が小さい頃に芸人さんを見て感じたように、〈笑い〉って簡単じゃないと思うんですよ。たとえば居酒屋で飲んで笑ってるだけだったら一次元的なものですけど、もうちょっと狂気とか、多次元的な要素もそこに含まれていると思うんです。お笑いは好きですが、わりとそういうことは考えますね。
河原 京都という土地の影響って、仕事をする上でやはりありますか?
小谷 もちろんあるでしょう。でも、それはほんまに下地の一部分ですよね。海外と比べても、京都のような特殊な環境はどこにもないと思いますから。古いものと新しいものが独特なさじ加減で共存している。歩いていても古いものに出会う間隔が短いですよね。普通に街を歩いていて、開けたと思ったらお寺やお墓がある。そこだけ時間が止まっていて、時間感覚が層になっている。それに比べると、東京は層がないイメージです。からっとしすぎて〈資本主義の最たる場所〉みたいに見えますよね。
Odani Motohiko 『Ruffle (Dress 04)』 2009-10
Wood, laser print / 100×φ336 cm、53.3×78 cm (Photo)
Collection of the artist
Photo: Kioku Keizo / Photo Courtesy: Mori Art Museum河原 私はヘアーで、ファッションの仕事が多いこともありまして、《ヒューマン・レッスン(ドレス01)》や《ダブル・エッジド・オブ・ソウト(ドレス02)》、《ドレープ(ドレス03)》、《ラッフル(ドレス04)》など、ファッションをモチーフにされている作品が印象に残りました。ご実家が洋装生地を扱う店だったとのことですが、今のお仕事にその影響はあると感じられたことはありますか?
小谷 影響ないことはないですよ。ただ、そこに原風景がすべてあるわけではないんですが。男の子ですから、子供の時は実家が洋裁屋だったことは恥ずかしかったですね。反発心の方が強かった。でもおかげで、ファッションを好きになったのは、周りの友達に比べて早かったと思います。高校の時は熱にうなされたようにパンクが好きでしたね。ヴィヴィアン・ウェストウッドとかマルコム・マクラーレンがキーワードになって音楽やファッションの世界に入っていった。僕らの世代でファッションが好きだった人って、みんなそんな感じでしたよね?
河原 確かに当時はそうでしたよね。私はギャルソン派でしたが(笑)。狼の毛皮の《ヒューマン・レッスン(ドレス01)》と、人毛の《ダブル・エッジド・オブ・ソウト(ドレス02)》ドレスのどちらも、かなり丈が長いですよね?
小谷 短いとキュートになりすぎてしまうでしょう。作品にユニセックスな部分の解釈も残しておきたかったんです。たとえば羽織袴は男性の和装ですが、言ってしまえば長いドレスですよね。短すぎると完全に女性だけが着るものになってしまう。そこに限定したくなかった。
Odani Motohiko 『Double Edged of Thought (Dress 02)』 1997
Human Hair / 166 x 70 x 3 cm
21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa
Photo: Kunimori Masakazu / Photo courtesy: YAMAMOTO GENDAI, Tokyo / P-House, Tokyo河原 《ダブル・エッジド・オブ・ソウト(ドレス02)》の素材は人毛ですよね。ドレスの丈は長いですし、実はかなりの量でしょう。
小谷 もちろん人毛です。つなげて長い丈に仕立て上げています。かなり長い間をかけて、あらゆる場所から集めましたね。髪をばっさり切る人は少ないですし、もし切っても、もらえない場合もある。だから時間をかけて地道に集めましたね。
河原 ご自身で編まれた?
小谷 あれは自分で編んでいないですね。〈編む〉という行為は呪術的な行為だし、〈不毛である〉ことのメタファーにもなっている。執念や狂気など、多層的な意味が入っている女性的な行為なので、女性でないと意味がなかった。なので、そこはこだわって女性にお願いしました。あと、あの作品には素材として髪と同じぐらい〈着る女性〉も必要だった。クレジットの素材の欄に〈女性〉と書きたいぐらい不可欠なものでした。
河原 小谷さんの作品には、美しい女性が多く登場しています。同時に写真の作品もありますが、ファッション雑誌やファッション・フォトを意識してご覧になることはあるのでしょうか。
小谷 全然見なくなりましたね。ここ最近、小説はよく読んでいますが、そういう意欲がまったくなくなってきてしまっているのが正直なところなんです。たとえば映画にしても今はそれなりに見るぐらいです。今は外的要素から得られるものは少ないというか。自分の持っているもの の、さらに奥に入り込むことの方が重要だと思っています。〈もうひとつ奥〉に核はあると思うんです。そこに行かなくてはいけない。
Odani Motohiko 『Rompers』 2003
video / approx. 2min. 52sec.
Music: PIRAMI / Photo courtesy: YAMAMOTO GENDAI, Tokyo河原 今回ドレスをモチーフにした作品に限らず、どの作品も毒をたたえて恐さのあるぶん余計に美しく感じました。
小谷 卑怯な手なんですけど、わざとわかりやすく美しく見せているところもあります。毒のある生物がきれいに見えるのといっしょですよね。考え方としては〈美しさ〉は誘い水です。
河原 誘って、毒を食らわすと。
小谷 彫刻って、人が生活していく上で必要のないメディアですよね。言っちゃえばアングラですよ。でも、僕はアングラな彫刻というものをオーバーグラウンドにもっていきたい。だから意図的にスタイリッシュに味付けしているところもあります。彫刻って〈暗い、臭い、でかい〉の三重苦ですよ。そんなアングラなものが、アングラな場所に置かれていてもつまらないでしょう。でも、彫刻は古典的ではあるけれども、 可能性のあるメディアだと思うんです。絵画で20点描くよりも、一点ごっついのつくれば、そっちの方がインパクトあるでしょう。宗教でも昔から彫像が多くつくられてきたのは、一発で相手に言いたいことが伝わるからだと思うんです。
河原 私はほとんどが現場仕事ですので、時間をかけないで、その場でチームでつくっていく。なので瞬時に判断して、瞬間的に突き抜けなくてはいけない。でも、彫刻は作品とつきあう時間が長いですよね。たとえば行き詰まったときに、大きさや造形とか、気持ちと共にプランを変化させていったりするんでしょうか。
小谷 歴史的なことや、彫刻以外の他のメディアのことなど色んなレイヤーでまずスキャンする。瞬間的で凝縮的な判断というか。だから大きさに関しては、まず間違えないです。展示の仕方に関しては外すことは多いですね。プランはしていても、いざ展示のプロセスになると、直感がはたらく。その場合は何かあるということですから、素直に従います。でも、作品によってはかなり長時間付き合わなきゃいけないこともありますから、そういうは場合はかなりきついですよね。でも、長いことベタ付きでやっていい結果が得られるかどうかというのはまた別問題だったりするし。でも基本は完成しても納得しないことの方が多い。なんだかんだで行き詰まることは毎回で、最後まで抜けられないですね。不満は必ず残るのが正直なところです。
Odani Motohiko 『SP2: New Born (Viper A)』 2007
Mixed media / 67 x 28 x 18 cm
Private collection
Photo: Kioku Keizo / Photo courtesy: YAMAMOTO GENDAI, TokyoMori Art Museum "Odani Motohiko: Phantom Limb"
2010/11/27-2011/2/27
Photo: Kioku Keizo / Photo Courtesy: Mori Art Museum※《ホロウ》シリーズの展示風景河原 でもその方が健全だと思います、態度としては。あとひとつ。今回感じたのは素材の面白さです。特に《SP2:ニューボーン》シリーズ、《ホロウ》シリーズは造形はもちろん、素材の質感も見たことのないものでした。素材を触って、造っているテンションや身体感覚が伝わってきました。
小谷 もちろん素材の面白さはありましたけど、そこだけに頼りたくないですよね。そこから踏み込んで、自分が触媒として入っていきたい。
河原 生意気承知で言っちゃいますけど、ものすごいテクニックですよね。
小谷 木彫で言えば、芸大の彫刻科は、もっとすごいやついっぱいいますよ。まあ特殊能力の領域なんですが、そういうの見ると普通に感心します。どの世界でもそうだと思いますけど、技術は表現のスペックにはなると思いますけど、そこだけでは表現とは呼ばれないですから、技術は作品を構成する一部分としか考えていないです。《ダブル・エッジド・オブ・ソウト(ドレス02)》に欠かせなかった〈モデルの女性〉と同じで、〈そこは技術使わなくてはあかんな〉というときは、とことん技術を使う時もある。でも、必要なければ破棄しますし。今後は、技術的な側面は捨てはしないですが、もう少し違うフェーズに移っていきたいと思っています。今後は具象彫刻はあまりつくらないかもしれませんね。僕自身は、実は彫刻のスタジオワークは辛いのでやりたくないんですよ。精神的に疲れてしまいますから(笑)。
小谷元彦 Motihiko Odani 1972年京都府生まれ。1997年、東京藝術大学大学院美術研究科修了。現在、同大学准教授。 彫刻を軸に 映像、写真、映像、インスタレーションなど多彩な手段を用いて作品を制作している。ヴェネツィア・ビエンナーレ日本館(2003年)をはじめ、多くの国際展に出品。主な個展に『ファントム・リム』(Pハウス/1997 年)、『モディフィケーション』(キリンプラザ大阪/2004 年)、『小谷元彦/Hollow』(メゾンエルメス/2009~2010年)などがある。
小谷元彦展: 『幽体の知覚』 森美術館■開催中~ 2011年02月27日(日)/ 六本木ヒルズ森タワー 53F
10:00~22:00(火曜日は17:00まで。入館はいずれも閉館30分前まで)
無休/1500円/TEL: 03-5777-8600
http://www.mori.art.museu